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日々の暢気眼鏡

日々の出来事を針小棒大に語る

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鬼神の話

2009/03/02(Mon)01:23

ついこの間までグズグズと書かないでいたくせに、いざ書き始めるとアレもコレも書きてぇな、とか思い始める辺り、何かの病気かもしれない。

(追記)
あっさり書くつもりが偉く長くなった上に、ワケの分からないテンションになってきたのでたたんでおく事にしました。具体的に書けない部分を色々省略した上に、怪しげなたとえ話が続出したり甚だしく自己陶酔してたりするので、少々気張って読まないと読後に気分悪くなるかもしれません。
ご容赦を。



・・・いつも通りですかそうですか。


 

塾生を帰した後、塾長と四方山話をする。
いくつかの、ちょっと不幸な家族と、おそらくそのせいで奇妙な行動を取る人たちの話。

「何で、そんなコワイ行動取るんだろうね?」
「うーん・・・。まあ聞いた範囲での、想像ですけどね。赫々云々、こーであーで、こんな気持ちなんじゃないですかねえ」
「あー、なるほどねぇ」
「いやまあ、証拠なんてナンも無いですけどねー」

勿論詳細を語れるような話ではないのだけど、一時間以上も話していただろうか。
ふと、そう言えば面接のお仕事してるときも同じ様なことしてるよな、と思う。
相手から聞いた話を自分の中で再構成して、相手が感じてるのと別な文脈で捉えなおして提示して、ぴったり来るかどうか聞いてみて、ズレてたらまた改めて色々聞いて、自分の中のアレやコレやと照らし合わせて別な文脈で提示して・・・。
意識してなかったけど、ワタクシってナラtィブ・sラピーの人だったんだなあ。
ちゃんと、気に入ったところに着地してら。




ちょっとアレな行動を取る人がいて、行動そのものもアレだけど、何よりその行動を取り続けるバイタリティが凄まじくて、どこからその原動力が来るのか他人には想像もつかない、何て話もあった。

分析屋に言わせりゃ無意識がどーのこーの、って話になるんだろうけど、ここは最近見事「第1部完」になった(もちろん嫌味だ。K談社にはゴキブリが大発生するがいい)伊藤勢のマンガ「荒野に獣、慟哭す」に引っ掛けて、人の内部には「キッシン(鬼神)」が眠っているから、と言ってみたい。

誰の内にも「人なら人の、生き物としてのありようを変えてしまうほどの力」であるところの「キッシン」が宿っていて、時としてそれが目を覚まし、人を突き動かす。その力は人の意思ぐらいじゃ御しきれないほど強すぎて、本人を支配してしまうのは当然、周囲にも破壊的な影響を及ぼしかねないものだ。実際、「アレな行動」の多くは、本人の選択肢を奪うと同時に、周囲の人間も徐々にワケの分からない渦に巻き込んでいく。そこに関われば、例外なく幸せから遠ざかってしまうことになる。

彼ら彼女らの、人をコントロールしようとする力と技は本当に凄まじい。部外者として、離れたところから眺めていればまだ違う選択肢の存在も理解できるだろうけど、一度渦中に入ってしまえば、もう見えない。これしかない、ベスト過ぎて他の選択肢なんか考えられない、という選択肢こそ、彼ら彼女らが選ばせようとしている選択肢だったりする。今回聞いた話もそうだったし、お仕事柄、渦に巻き込まれてグルグルしてる人たちを何人も見てきた。そして多分それは、我々みたいな商売してる連中だって例外ではない。

きっと、チームで治療する理由の一つって、そこなんだと思う。
お前馬鹿じゃねえの、何やってんのさ、と突っ込んでくれる相手がいるだけで、ずいぶん違うんだろうな、と思う。

突っ込み手のいない一人職場の自分が、多少なりともその辺何とかしてこれたのって、格ゲー時代に培った「2択を迫られたら3つ目の選択肢を探せ」って姿勢のお陰かもしれない、とか思ったりして。

それはさておき。

じゃあその「キッシン」とやらはどこから来るのか。
生得的なものなのか?

きっと、下地としては生得的なものなんだと思う。
漠然とした、感覚的なものだけど、脳のある生き物は程度の差こそあれ、必ず持ってるように思う。

だけど、それを変な方向に育てるのは後天的なもの、経験だと思う。

最後に塾長が言ってたように、「人間、やりたいことやらなきゃダメだね!」ってことなんだと思う。いやまあ、ワタクシもいい歳ですから、「夢はいつか実現する!」とか青臭いことは言いませんが。少なくとも、キチンととどめは刺しておくべきだと思う。きっちり負けておく、というのか。


中途半端にたわめておくと、いつか人は爆発する。


意志の力なんざ、体力と同じでいつまでも維持できるものではないし、ふと魔が差す瞬間てのは誰の側にも控えてるものだしねぇ。たわめた期間が長ければ長いほど、それは歪な形で現れ、暴れる。



色んな能力を持っていた人がいて、たぶんその人はそのまま行けば順当に実力を発揮して社会から認められ、ひとかどの人物となったであろうと想像される。でも、残念ながらその人はその機会さえ与えられないまま別の生き方を強いられ、現在に至る。
その人が持っていた能力は、些細な、人によってはどうでもいいとしか思えないような部分に発揮され続け、数十年をかけて奇妙な習慣をもつ小さな世界を形作った。元来持っていた能力が高すぎたのか、その世界はとんでもない重力を発揮し続け、住人が脱出することを決して許さない。否、許さない訳ではない。少なくとも表面的には引き止めるようなそぶりさえ見せない。でも、出られない。善意と愛情という名の重力は、どこまでも影響を及ぼすらしい。

その重力を振り切ろうとしたら、ものすごくたくさん傷ついてしまうだろうし、捨ててこなきゃいけなかったものもさぞやたくさんあるだろうと思う。「呪的逃走」でしたっけ?昔話にある、何もかも捨てて逃げることでかろうじて助かりましたとさ、ってヤツ。

今自分がいる場所はなんかおかしい、逃げなきゃ!と思って命からがら逃げ出してみたものの、逃げた先では今度は自分が「人として大切な何かが欠けたヤツ」扱いされて途方にくれてたりして。
まあもらえなかったものは仕方ないから、一個一個自分で手に入れてくしか無いんだろうけどね。

難儀なことだ。





「ねえ先生、どうしたらいいんだと思う?」
「さあ。今からでもやらせるしかないんじゃないですか?」
「えー、だってもういい歳だよ?」
「んー、でも、やらない限り納得なんてしないでしょうし、やってみて、昔思ってたほどの力の無い自分に直面したら諦めもつくんじゃないですか?」
「あー・・・」
「ハイ」
「・・・でも、怖いよね」
「怖いです」
「・・・そうならないためには、どうしたらいいんだと思う?」
「そんなの、自分の人生生きるしかないじゃないですか!」

反射的に出た返事だったけど、我ながら何て返事だ。
上司に向けた言い回しとしてはアレな上に、爽やかなんだか投げやりなんだか。

そこで
「うん!人間やりたいことやんなきゃ、ダメだね!」
って言葉がスパーンと出てくる塾長は、陽性の人なんだろうな、と思う。

うらやましい。



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