「ウチの子は勉強しなくて。どうしたら勉強するようになりますかね?」
と言う人がいる。
簡単なことだ、と思う。
「親が勉強する姿を見せりゃいいんですよ」
なーんて、絶対言えないけれどさ。
親自身が勉強することに何の価値も感じていなければ、子供は敏感にそれを察知する。
自分が何の価値もないと思ってることを他人に強要するなんてのは、嫌がらせ以外の何ものでもないだろう。
「学校での勉強になんて、何の意味も無い。世の中に出たら何の役にも立たない」
と言う人がいる。
あー、この人はちゃんと勉強してなかったんだな、と思う。
「理解が浅いから、役立て方に気づけないんですよ」
なーんて、絶対言えないけれどさ。
そのまんま当てはまることばかりが「役に立つ」ってことじゃないだろ?
中学までが義務教育とはよく言ったもので、きちんとマスターすれば、世の中で起きてることの多くを理解することが充分可能で、そこまでの過程で体得した「勉強の仕方」ってのは、どこで何をやるのにも応用が可能なスキルだと思うよ。
意味があるとか無いとかいう話には、京極堂が言っていた科白によって既に止めが刺されてると思う。
「それでは伺いましょう。意味があることにどんな意味があるのです?」
(京極夏彦著「塗仏の宴 宴の始末」より)
PR