昔から、「人を呪わば穴二つ」とか言いまして。
意味はそう難しい話じゃなくて、仮に誰かの死を願うとする。
願いがかなえば、相手は死ぬわけですな。
やは、邪魔者はいなくなった、目出度し目出度し。
それでは例の件を進めましょうかね、と行きたいがそうはイカのナントカで。
初等物理学の「作用反作用の法則」でもあるかのように、呪いをかけたほうも間もなく死んじゃう。
かくして以前には必要の無かった「墓穴」が二つ、新たに掘られるという次第。
これにはいくつか解釈が考えられて、ひとつはオカルトな解釈。
呪詛というものにそういう性質があって、その道(どんなだ)の人は防御のための用意をあらかじめしておく。
ファンタジー系の物語やゲームなんかでもそういう設定はありますな。
もうひとつは道徳的な枷。
人を呪うなんて不道徳なことやっちゃいけません。なぜならあなたも死んじゃうんだから。
そういう考え方を広めることで無用な不安が広まらないようにする、というもの。
絵本の「ねないこだれだ」ってのもそんなカンジでしたな。
あたしゃガキの時分、マジであれ怖かったッスよ。
まあそれは置いておいて。
そんな感じで理解していたのですが、ちょっと面白い考え方を読んだので、メモ代わりに。
404 Blog Not Foundより
「幸福の第1原則」
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51077235.html
「人の幸せを一度呪うと、君には三つの訴状が届くことになる。一つ目は、呪った相手から。二つ目は、それを見かねた人々から。そして最後は自分自身から。一人称、二人称、三人称の全てを君は敵に回すことになる。」
にゃるほどね。
一度に3種類の敵を抱え込んじゃうわけだ。
そら長生きできんわ。
幸せ、ということに関してついでに書けば。
「イリュージョン」て小説があってね。リチャード・バックって人の。
この本の冒頭、イントロダクションの節だけでも読むと面白いと思うんだ。
初めて読んだとき、しばらく開いた口がふさがらなくて、それからしばらくけらけらと笑ってたよ。
もひとつオマケに。
「魍魎の匣」。もちろん京極夏彦だ。
映画でなくて、原作の方ね。いや、映画も面白かったけど、この部分はそぎ落とされてるので。
世間でどう語られてるかは知らないけど、私はこの作品は「幸せ」についての思考実験(とでも言うのかな?)だと思ってる。不気味な描写はたくさんあるし、どうにも遣る瀬無い話ではあるんだけど。
幸せというものの再定義を促される話なんじゃないかと思ってる。
ちょっと大げさかな?
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無題
2008/07/08(Tue)08:01
呪いをかけるときは基本自分にも返ってくるからだそうですよ。
まあ返ってこない方法もあるみたいですがね。
依頼された場合も呪詛師達が本格的に呪詛をしても
呪いの気の元は依頼者のものを使っているので
呪詛師には返ってこず依頼者に行く。
呪詛師は大砲の筒を持っているだけという話です。
にしても何か呪いたいことが?
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