とある専門ガッコで、とある授業をしてきた。
去年やったときにはこれでもかってくらい大失敗をして、めちゃめちゃ凹んで、たぶんもう二度と依頼が来ないだろうと思ってたのだけど、有難いことにもう一度機会をもらえた。
しかも、去年は1.5時間を2コマだけだったのがダブルアップ(って言うのか?)。2日間になった。
いやまあ、資格に絡む授業だから、当局の指導とかあったらしいんだけど。
人に教える、というお仕事を始めてそれなりに経つのだけど、いまだに自信を持てないなあ。
去年はテキストからかなり離れた内容話して、ドン引きされた経緯があったんで、今年はなるべくテキストに添うような形でやったんだけど。
結構な人数に寝られた。
想像以上に、授業に対する耐性(?)が低いみたい。
いやもちろん、私の授業が退屈だ、ってのも否定はしませんが。あちこちで授業はしてますが、ここまで耐性が低いのも珍しいなあ、と。
次から次へと面白い話題を提供して、どっかんどっかん笑いを取って、気がついたらお時間でした、なんて授業は私には荷が重過ぎる。ンな能力あったら、とっくの昔に芸人としてデビューしてるってば。
私には、正直なところ理解のためのお手伝いをするしかできない。調べ物を含め、独りでやろうとしたら数日から数週間、場合によっては年単位で時間をかけなければならないところを、ほんの少しショートカットするために必要な情報を提供してるのに過ぎない。そう、提供してるだけだ。それを使って実際にショートカットしたり、身につけるために鍛錬するなりは大してお手伝いはできない。
やっていく中での楽しみは、各自で見つけていただきたいと思ってる。だってさ、何十人もの相手の好みなんざ把握しきれないもん。まさか、自分が楽しいと思うことが誰もが楽しいと思うわきゃねぇってことぐらいは分かるだろ?大勢の人が好むことを「最大公約数的に」取り込めば、って考えもあるだろうけど、数学と違って人の好みの「最大公約数」には絶対に取りこぼしが出る。
笑いをどう定義するかにもよるのだけど、仮に「よくあることからのズレを感じた時にわいてくる感情」が笑いだとすると、「最大公約数」って考えは明らかにそぐわないよね。
そもそも私は、教えてる領域の知識に触れてるだけで十分楽しいし。
それが万人に通じるものではないことは分かってるけどね。
「えーと、そこの人」
「ん?はい」
「あのさ、それ、耳にしてるヘッドフォン。最前列に座っててさ、隠そうとか思わんの?」
「はい」
「・・・・・・・・・・・・・そうですか」
「はい。あ、これ、音出てませんから」
かっちーん
「補聴器とか、そういうものじゃないのね?」
「(きょとん、として)はい」
「音出てないとかさ、そういう問題じゃなくてさ。そういうことされると気分悪ィんだよね」
「あぁハイ」
むくれたツラして、終わるまでずっとそっぽ向いてやがった。
あーあ。また大人気ない対応しちまったい。
授業の最後はテキストを離れて、心理屋としてお仕事をする際に使ってる技術の解説をした。
自分で言うのもナンだけど、低コストでそこそこ上等な結果が得られる技術だと思う。もちろんオリジナルではないけれど、一般にはそう出回らない話なんで、聞く価値は、少なくともお代の分くらいはあると思う。
授業時間が終わりに近かったせいもあるんだろうけど、ほとんどの人がそれなりに真剣に聞いてくれた、と思う。思いたいなあ。
終了後、熱心に授業を聞いてくれてた生徒さんが二人、残ってくれて少し話ができたんで、去年のに比べりゃ少しはマシな授業ができてたんじゃないかな。こういうのって、授業の出来具合のバロメータだと思う。
このお仕事を回してくれた先生と少し話をする。
大人気ないしかり方をしたんで、不快に思わせたかもしれない、と謝る。
「ああ・・・こっちのクラスの子は、少し導入が上手く行ってないせいもあるかもしれませんね」
「はい?」
この授業は全く科の違う学生さんが集まっていて、この先生が担任してるクラスじゃない方の生徒さんたちには、「なぜこの授業を受けなければいけないのか」という理由がよく見えてないらしい。確かに、専門で勉強してるもの(資格)とは直接つながらない授業ではある。でもまあ、隣接領域ではあるし、お仕事に深みを持たせることにもなるんだけどね。
そうか、ハナからやる気はないのか。
じゃあ仕方ないのかもな。
塾にしても、毎週行ってる専門ガッコにしても、たまに行く資格取得のための総合予備校にしても、みんな程度の差こそあれ、その領域の勉強したくて来てるんだもんな。そんな連中に比べりゃ耐性が低くて当然か。
難しいもんだな。
と部屋に帰ってネットを徘徊。
こんなのを見つけた。
「能力のこと」 レジデント初期研修用資料 より
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/64
そうだよな。
能力には差があるんだよな。
単に「目標に向かって進む」どころか、そもそも目指すべき「目標」をキチンと定められるかどうか、そこさえも差があるんだろうね。自分だって今でこそ偉そうな面して生きてるけど、彼ら彼女らと同じ年代のころどうだったかって言ったら、恥ずかしさのあまり銅像に押しつけたらそのままデスマスクが作れそうなぐらい赤面できますものね!!時間も必要なんでしょう、きっと。
幸いなことにあたしゃ色んなことをソコソコ楽しめる余力があるみたいなので、楽しんでみましょうかね。
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